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      <title>痩せたい食べたい</title>
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      <description>本気で二の腕を細くしたい人～おいしいものも食べたい人～</description>
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         <title>普遍的機構という性格　3</title>
         <description>経済、社会、文化、人道など各分野の国際協力が強力に推進されてこそ、国際の平和と安全がよりよく確保されると考えられたのです。


国連について、もう一つ加えておきたいことは、国際機構の歴史という点でも重要な発展が達成されたということです。


とくに連盟の教訓に学んで、総会と安全保障理事会の機能および責任の分担・明確化が図られました。


・・・つまり、高度に政治的な問題や安全保障に係わる事項は、主として安保理に委ねられることになりました。


総会は、これらの問題については、安保理が機能している限り、原則として口ばしをいれないことになりました。


また、連盟の時代の事務総長が文字どおり事務局の長にしか過ぎず、重要で緊急を要する問題が発生しても自らの判断では動きがとれなかった苦い経験を反省して、国連では事務総長が政治的に活動することが予定されることになりました。


これらのことは、さらに別の機会に改めて詳しく説明します。


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         <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 14:24:25 +0900</pubDate>
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         <title>普遍的機構という性格　2</title>
         <description>新しく独立を達成する新興国がその外交においてまず行うことは国連加盟であり、国連に代表部を置くことです。


さらに、国際的に孤立に追い込まれ、あるいは自ら孤立の道を選択する国家でも、自ら進んで国連との関係を敵対化させようとするものはまずありません(例えば、ソ連、中国という社会主義大国との関係を悪化させた60年代以後のアルバニア、イスラム原理主義の立場に立つイラン)。


60年代以後近年まで国連で少数派の立場に立たされることの多かったアメリカでも、国内では国連無用論などが鋭く提起されることもありました。


また、アメリカ政府も国連に対する批判的姿勢を強めましたが、国連脱退ということまでは踏み切れませんでした。


国連に象徴される国際世論というものを、アメリカといえども簡単には無視することができなくなっているのです。


国連の普遍的性格はまた、その取り扱う問題が地球上で起こるすべての問題にわたっているという点にも現れています。


国際の平和と安全を維持することが中心的考え方であることは、連盟当時と同じです。


・・・しかし、第二次世界大戦の勃発原因は単純に大国間の権力闘争というだけで片付けてしまうことはできない、ということがよく理解されていました。


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         <pubDate>Mon, 19 Dec 2011 14:23:51 +0900</pubDate>
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         <title>普遍的機構という性格</title>
         <description>第二次世界大戦の結果、民族自決の原則が植民地にも広く適用されたことを受けて、国連は、アジア、アフリカ、大洋州をも含む広い地理的普遍性を実現したのでした。


もちろん普遍性の実現に全く障害がなかったということではありません。


とくに米ソ(東西)対決の影響を受けて国連加盟が妨げられたケースも生まれました。


独立回復後の日本の国連加盟が遅れたのは、日本の国際社会復帰(対日講和条約の締結)がアメリカとの同盟関係(日米安保条約の締結)とパッケージになっていたことにソ連が反発したことに一つの原因がありました。


その後も分裂国家(ドイツ、ヴェトナム、朝鮮)の国連加盟問題は、東西関係によって影響を受ける一面を持っていました。


しかし、国連を脱退するケースは一度だけ(1965年1月のインドネシア。ただし再び復帰)しかありません。

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         <pubDate>Sat, 19 Nov 2011 14:23:26 +0900</pubDate>
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         <title>国連が出来上がるまで</title>
         <description>国連が出来上がるまでの段階で、中小国がこのような活動をしたことは、今日国連が国際の平和と安全について担うべき役割について改めて考える上で、重要な意味を持っています。


1990年8月に発生した湾岸危機・戦争では、アメリカを中心にした5大国の結束があるとき、国連は大国の意のままになる存在になってしまうことが示されました。


1945年当時の中小国の懸念は、決して根拠のないものではなかったのです。


また、中小国の当時の努力にもかかわらず、国連憲章は結束した大国の行動を十分に規律するだけの備えを持っていないことも明らかになりました。


国連は、もっとも普遍的な国際機構であるといわれます。


その普遍性とは、具体的には何を意味するのでしょうか。


まずその普遍性は、文字どおりすべての独立主権国家を包み込む点に現れます。


この点では、連盟も基本的には同様の性格を持っていました。


しかし、当時の独立国は、地理的には欧米が中心でした。
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         <pubDate>Wed, 19 Oct 2011 14:22:46 +0900</pubDate>
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         <title>日本農業における国境調整の特質と問題　2</title>
         <description>アメリカがウェーバーを中心に、またECが可変課徴金を軸に農業の国境調整を行なってきたのと比べて、日本のそれはかなり異なっています。


これらの国々では、さまざまな問題はあるにせよ、ガット・ルールとの形式的整合性を図ろうとする努力が一応はなされてきたのです。


それでは日本ではなぜそうなっていないのでしょうか？


・・・これにはいくつかの理由が考えられます。


まず、基本的な要因としては、日本農業の零細性・弱体性という点があります。


農業経営の規模が零細でコスト高の日本農業では、関税という通常の調整手段だけではとうてい海外からの競争に太刀打ちできず、直接の数量規制にたよらざるをえなかったのです。

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         <pubDate>Thu, 29 Sep 2011 14:02:28 +0900</pubDate>
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         <title>日本農業における国境調整の特質と問題</title>
         <description>国産品と輸入品とのだきあわせ利用の指導などがそれです。


第二に、その輸入は民間による競争輸入であり、国家貿易のような国の独占ではありません。


そのため輸入割当が利権化し、これをめぐってさまざまな不明朗な関係が生ずる可能性があります。


いうまでもなくこのように「制限された輸入」という状況の下では、これによって大きな利益が獲得可能だからです。


日本農業の国境調整は欧米諸国と比べた場合、いくつかの特徴をもっています。


1．国家貿易・残存輸入制限などの直接の量的規制が中心をなしていること


2．そのなかでも残存輸入制限というガット上非合法なものがかなりの数にのぼっていたこと


3．それが米麦・畜産物・みかんなどの農業の基幹部分におよんでいたこと


・・・などがそれです。


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         <pubDate>Mon, 29 Aug 2011 14:01:37 +0900</pubDate>
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         <title>残存輸入制限問題　2</title>
         <description>いずれも国境において厳重な数量規制を加えることによって、海外からの影響を完全に遮断し、市場原理を否定しているからです。


そのことは内外価格差・自給率・国境調整形態の三者の相関をみれば明らかでしょう。


国家貿易品目だからといって、とくに他に比べて内外価格差が開いているわけでもなければ、自給率が高いわけでもありません。


国家貿易品目も、残存輸入制限品目もほぼ同じように内外価格差・自給率が分散しているのです。


両者の差は形式的な制度面にあります。


ガット上の合法・非合法を別にすれば、注目されるのは次の二点です。


第一に、残存輸入制限品目の多くは国内の農産物価格政策を欠いており、したがってまた輸入数量をきめるための明確なルールを欠いています。


それは行政による裁量余地の大きい、いわゆる行政指導として行なわれ、それゆえにまたさまざまな暖昧さが残ることになります。

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         <pubDate>Fri, 29 Jul 2011 14:01:08 +0900</pubDate>
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         <title>残存輸入制限問題</title>
         <description>残存輸入制限問題はほぼ峠を越えたといっていいでしょう。


残存輸入制限品目の場合にも、輸入数量が政府によって一方的に決定されること、そのさい国内農産物に優先権が与えられ残余が輸入にあてられることは先の国家貿易の場合と基本的に同様です。


つまり、国産優先の原則に立ちつつも、個別農産物ごとに、国内の需給動向、国内農産物の競争条件などをにらみあわせながら、毎年の輸入数量が政策的に調整されているのです。


その結果、同じ残存輸入制限品目であっても、輸入量がかなり大きく自給率が低いものと、逆に輸入量がほとんどなく自給率が高いものとの差が生じます。


前者の例としてはらっかせい31%、パイナップル缶詰31%、ぶどうジュース21%、いんげん40%などがあり、後者の例としては牛肉72%、コンスターチ99%、プロセスチーズ99%などがあります。


それではこれら残存輸入制限品目は先の国家貿易品目と比べて、どこがどう違うのでしょうか。


まず、その経済的機能という点からみれば、両者は基本的には同一です。

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         <pubDate>Wed, 29 Jun 2011 14:00:22 +0900</pubDate>
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         <title>古代美術　4</title>
         <description>浮彫装飾としては渦文とか舌状文とか獅子などが打出されています。


そして、黄金杯（高さ19センチ、ミケネ竪穴墓第4墓出土、前16世紀）。


把手は一つの揚合が多いです。


八重の花形(ロゼッタ)を規則正しく配り、脚部には小環をつらねています。


スマートでまた蒙勢な杯です。


そして前15世紀のものの黄金杯。


ミケネに近いデンドラ(メニディ)で直径7・3mの窃薩墓が発見されました。


その天井は落ちていましたが、盗掘は免れたようで、かなりの財宝が出上方の海面にはイルカが泳いでいます。


銀杯（ミケネ第4墓出土、前16世紀）は銀製ですが、象嵌の杯の一例としてとりあげてみましょう。


低く浅い腹部に22個の戦士の横顔を象嵌しています。


この頭部は金ですが、髪や髭また眼は漆黒のニエロ(黒金・硫黄に銀、銅、鉛などを加えた合金)です。


同じ顔が一様に左をむいています。


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         <pubDate>Wed, 18 May 2011 10:31:08 +0900</pubDate>
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         <title>古代美術　3</title>
         <description>コップ型、紅茶茶碗型、高杯、浅い杯など多様であって、いずれも輪郭は鋭く、内曲面と外曲面とが対立しています。


クレタ的な流動形ではなく頸部、腹部、脚部などが判然と区別できます。


また把手が出土しました。


そのなかの逸品がこれです。


脚部のほとんど気付かぬように低く、です。


海中に広げられた豪華な絵巻物のようです。


本の脚を伸ばして悠々とわが物顔に泳いでいます。


海底にあるのはサンゴです。


タコの雄姿はクレタのタコの壷を思わすほどに新鮮で自由で生気にみちています。


それでこの杯はクレタ製だとの説もあります。


少なくともクレタエ人の作でしょうが。


なお、紐状よりも扁平なリボン状が好まれています。


これらの杯には無文のもの、打出し文のあるもの、象嵌をほどこしたものがあります。


無装飾といっても形はスマートであり、時には頸部に綱状模様を打出したり、把手に犬の頭とかタカを付けたりしています。

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         <pubDate>Mon, 18 Apr 2011 10:29:44 +0900</pubDate>
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         <title>古代美術　2</title>
         <description>写実をこえた生命力が発散しているのです。


それは個でなくて人間存在の主張ではないでしょうか。


抽象化にもかかわらず、いや普遍化された人間そのものの生命の表現です。


「ティリンスの官女」と同じ頭部の三断片も同型であり、また共通する生命力を表明しているのは、このためです。


ミケネ画家の究極はここにあるのではないでしょうか。


しかしこのティリンスの女たちは偶然の作かもしれません。


ミケネの金工品は主に容器と武器です。


そしてミケネの竪穴墓からの出土品が中心になります。


この初期にたいして盛期のものは掠奪にあったのか、残る品は少なく、伝わる作品も竪穴墓の出土品とくらべて進歩の跡はすくないものです。


この前16世紀に突然に高度な貴金属製品が現われたことは、クレタ文化との接触を考えなければ、一つの謎です。


貴金属のなかでも黄金が多くて、ホメロスが「黄金に富むミケネ」と歌ったことが実証されました。


これまでに美術的容器としてはクレタの旧宮殿時代は陶器、新宮殿時代は浮彫金箔張りの石製でしたが、ミケネ時代には銀ことに金器が使われます。


・・・ことに杯の類が多いです。

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         <pubDate>Fri, 18 Mar 2011 10:28:44 +0900</pubDate>
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         <title>古代美術</title>
         <description>ピュロス壁画には戦いの場面があって、突撃や倒れる姿があっても、動きがぎこちないものです。


なお、このことについては陶器の装飾の場合にのべましょう。


抽象や安定はミケネ画家のクレタ模倣の限界をしめし、また彼らの消しがたい性向ではありました。


そして自然主義に徹しきれぬとき、生命の表現はできないでしょうか。


自然主義の立揚からいえば衰退であるけれども、別な生命表現を果していないでしょうか。


もう一度「ティリンスの官女」をみます。


そこには何か迫るものがあります。


「パリの女」の魅惑はありませんが、荘厳さがあります。


そこには瞬間瞬間の濃刺さではなくて変らぬ活力が放射されています。


眼は大きくはありませんが前方を強く凝視し、それに対応する長く鋭い眉がはりつめています。


逞しい鼻の下の口も顎もしまっています。


・・・これは女性的とも男性的ともいえません。

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         <pubDate>Fri, 18 Feb 2011 10:27:32 +0900</pubDate>
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         <title>中身は同じで価格は数倍？　2</title>
         <description>NACSではこのうち15種類のキトサンについて、表示またはメーカー聴取によるキトサン量から1キログラム当たりのキトサン価格を算出した結果、原料メーカーから聴取したキトサン卸売り価格の約3倍から46倍になっていました。


まさに「健康食品なら、高額でも購入してくれる」という企業側の思惑に、消費者が乗ってしまっているのが現状です。


では何を基準に「健康食品」を購入すればいいのでしょうか。


最低限キトサンを摂取したいと思ったら、殻ごと食べられる小さなカニやエビ、キノコ類などを摂るといいでしょう。


健康食品には「○○加工食品」と「○○含有食品」があり、「○○加工食品のほうが○○の含有量も多く効率よく摂取でき、○○以外の原価構成比が低くなっているので価格的にも得だ」ということを、図書館やインターネットなどで調べておく必要があります。


また、「健康食品」として宣伝されているものに含まれている成分には、注射しないと効果がないものや、効果の有無について議論が続いているものがあります。


高いお金を払うこともあるのだから、十全な調査や勉強が必要でしょう。


そんなことは面倒だと、たとえば、「○○が高血圧の人にいい」と聞いて、何の知識もないままに販売店に買いに行くのはメーカーの思うつぼ。


店員の勧められるままに高額な商品を買わされることになります。


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         <pubDate>Fri, 14 Jan 2011 11:09:32 +0900</pubDate>
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         <title>他人からの受け売りは禁物</title>
         <description>健康に不安を感じている人の中には、病院に行かずに「健康食品だけを摂取していれば、健康になれる」と信じている人がいます。


しかも、その健康食品に関する情報は、えてして「あの健康食品は体にいい」といった、根拠のない他人からの受け売りの場合が多いのです。


そんな人に限って、「健康食品」というだけで過信して摂取を続け、挙げ句の果てに体調を崩すケースが多いのです。


健康になるために、高いお金を出して買った健康食品で体調を崩していたのでは、笑い話にもなりません。


実際に国民生活センターや消費生活センターには「Aという健康食品をすすめられ契約したが、飲み続けていたら下痢をした」


「同種類の健康食品で高価格なものと低価格のものがあるが、どのような違いがあるのか」


・・・などの苦情や相談が寄せられています。

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         <pubDate>Tue, 04 Jan 2011 11:10:02 +0900</pubDate>
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         <title>労働の変化</title>
         <description><![CDATA[労働の機械化は、現実に昇進のためのポストの数が急激にへるものです。


それだけではありません。


ミドルの管理職の地位そのものが、いちじるしく格下げされるのです。


プレーイング・マネージャーなどと恰好いい言葉をかぶせられて、現実にやっていることといえば、係のメンバーと一緒に袋をはこんだり、一緒にテープをチェックしたり、データエラーをチヱックしたりしながら、要するに働きぶりを監督します。


それも単純労働の監督だから、まことに現場監督的です。


もちろん片方での格下げに対応して他方では新しく責任を要する仕事は生まれてきているのですが、そこは技術的老人問題のために、若い年功のない人々にゆだねざるをえません。


・・・こうして、これまでの年功型昇進構造の基盤は、徐々にくずれてきています。


最近になって企業内部でやかましく言われるようになった、実力主義、年功制の打破、課制の廃止、<a href="http://openstandia.jp/services/opensso/index.html" target="_blank">OpenSSO</a>的プロジェクト・チーム制の推進等は、表面どのように立派な理屈がくっついていても、内実は、このような客観的変化へのなしくずしの対応とみるべきでしょう。


現実に昇進すべきポストの数はへりつつあるのです。


どのように実力をみがいても、学習にはげんでもその事実は変わりません。


・・・・私には何となく、企業は何十年かのジグザグのあげく、結局は年功的な昇進の秩序へ復帰するのではないかという予感もあります。

]]></description>
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         <pubDate>Thu, 09 Dec 2010 11:01:12 +0900</pubDate>
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